参道  厄除大祭 読上
六甲八幡神社の祭神は応神天皇、天照大神春日大神。創祀の由来については諸説があるが、社伝によれば、平清盛が福原に遷都した治承四年(一一八〇)京都・石清水八幡宮を勧請したことに始まるという。厄除大祭は、一月十八・十九日に行われ、氏子からは厄神祭(やくじんさん)と呼ばれ、親しまれている。宵宮(十八日)本宮(十九日)の両日で約十万人の参拝者が集まり、境内、参道には百数十軒の出店が並び、非常な賑わいを見せる。厄除の破魔矢を求められるのは、男性の四十二歳と女性の三十三歳の厄年の方が最も多いが、家内安全、商売繁盛を願い毎年破魔矢を受けられる方も多く、祭りの二日間で約一万体の破魔矢を授与する。
湯立1

湯立ての神事
本宮の午後十時からは、 湯立て神事が行われ、無病息災を願う人々が、争って笹を奪い合う。 その様子をある人は、次のように述べている。  トーントーン、トントトン、低く穏やかな太鼓の音が聞こえ始めた。多くの参拝者が夜も十時を過ぎたというのに、青竹にしめを張った囲いの外で、巫女の手さばきをみつめている。モクモクと湯気の立つ二つの釜に、巫女がご洗米とお神酒と塩をポタポタと落とすと、大麻で釜を祓い、その柄で湯をかきまぜた。続いて小さな桶に初湯を汲むと捧げ持って四方を拝み、殿上の祭員に渡した。厳かな献湯の神儀が終わると巫女はサラリと舞衣を脱ぎ捨てた。そでをたぐり、たすきをかけ、両手に笹束を持つとまず一つの釜につけた。太鼓と笛は、軽快な響きでテンポを速めていく。釜の中で左、右、左と笹束を器用に回転させていた巫女が、ころはよしと見はかるやその束を力いっぱい釜の外に振り上げた。湯煙りが立ち明かりを受けた湯玉がキラキラとはえながら人がきの上に落ちて行く。二回、三回、四回……どよめきが起こり、湯煙りが帯のように尾を引いてやみ空にとけていく。

湯立2

「申年生まれの人家内あんぜーん」拝殿の中から宮総代の声が風に乗って聞こえてきた。「酉年生まれの人家内あんぜ―ん」「戌年生まれの人家内あんぜ―ん」打ち振る笹束からパラパラ音を立てて湯玉が落ちてくる。しぶきを浴びた参拝者の中から興奮した歓声が上がる。待ちきれない人々は四すみに立てた青竹の枝葉を取ろうと争っている。最後の「未年生まれの人家内安全」の声が流れると、人々はいっせいに祭場になだれこんだ。四すみの青竹もみるみる枝葉をもぎ取られ、引き倒された。「この笹をいただいて帰り、門口にさしておくと魔よけになるんや」と、おじいさんが手に持った笹を釜の湯の中につけ、大事そうに持って帰って行く。厄神宮の拝殿では、最後の御神楽が奉納されている。祭りの終わりを告げる笛の音が、夜空のやみの中に消えて行く。一月十九日。厄神さんの祭りも終わった。かき乱された祭場からはまだかすかに湯気が立っている。